クローゼットの詰まりをほぐす


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最近なんだかクローゼットの中が詰まっている気がして、じわじわと気になっていた。多分最後に持ち物をきちんと点検したのは2年前。ここのところ数年間、ファッション産業とサステナビリティに思いを馳せて服をひとつずつ選んできたはずなので、クローゼットには納得のいく服だけが入っているはずだった。けれども、そこには拭えないナンカチガウ感が漂っていた。逆に言うと、毎年の流行に沿って服を何点も買わなくなってからしばらく経っていたわけで、街にそぐわない装いに違和感を感じてしまったのかもしれない。そんな思いを精算すべく、くもった日曜日の今日はクローゼットと真正面から向き合ってみた。

 

新しい視点がほしいなら断捨離の基準を変えてみる

今までの服の断捨離の基準は「それを着た自分が好きか?」だった。もちろん今のクローゼットにある大抵のものは「好き」だった…けど正直に言うと飽きてきたスタイルもあった。好きだけど飽きてきたけど好き。そういう服は無意識に手が遠のいていたようで、今季あまり着ていない服たちだった。(それでも一切着てないものはなく、誰にも会わない出勤日なんかに着ていた。)

そこで、どういうふうに考えたら変わるかな?と思い、断捨離系の動画を見て判断基準を探すことにした。「1年以上着ていない」「ときめかない」はよくあるやつで、そういう服はもう持っていなかった。いくつか動画を見ていて新しく見つけた基準が、「これがお店に売っていたら、今も買うか?」ーこれはとてもしっくりきた。好きだけど飽きたけど好きな服たちは、きっと今はもう新しく選ばない服たちだ!そんな気づきを得て、新しく「これがお店に売っていたら、今も買うか?」を基準にクローゼットの中を整理していった。

思い入れがある服もいくつかあったんだけど、とりあえずその基準をベースにバッサバッサ服を選んでいった。そして残ったものだけをクローゼットにいれていった。すると残った服たちは結局、今たくさん着ている服たちだった。

好きなものは変わらなくても見せたい自分は変わる

選ばなかった服の中には未だにオシャレだな、とか、かわいいな、と思う服がある。でもそれをもう選ばない自分がいる。それが今回の大きな発見だった。

もうひとつ手を動かしてみたこととして、本当に着るかどうか怪しいものに関しては実際にスタイリングして着てみて判断した。そこでも、2018年に買ったTheoryの白いアシンメトリーミモレ丈のスカートが、しっくりこなくて選択しないの山に行った。スカート自体は今でも全然素敵な存在だった。

「そうか、私はもうこういう服選ばないんだ」というのがなんとなくの感想だった。「こういう服」がどういう服を指すのか正直まだ自分でも掴めてないから言葉にするのは難しい。お気に入りだったAラインの厚手のグレーのスカート、お気に入りだったカーキのサテンのプリーツスカート、お気に入りだったブルーベースのフレンチシックな柄物ニット…全てお気に入りだったし、いまでもかわいいと思うけど、今の自分ではなかった。

少し言語化するとしたら、カジュアルさやかわいさのあるものから、カッチリしたものやシャープなものに好みが移っているのだと思う。最近はビッグシルエットやジェンダーニュートラルなものが増えて、女性らしいAラインの服にあまったるさも感じていたのかもしれない。今までは好きな服を好きに着ていたけれど、今はちゃんとした大人というのを演出したいのかもしれない。アリゾナ帰りの自由な感覚から、東京という機能を持った街に同化していったのかもしれない。人から見たらそこまで変化はないかもしれないけど、自分の中では着たいもの、みせたい自分は少しずつ変わっていたようだった。

選択しなかった服のこと

一方で、クローゼットの中に入れなかった服は、とりあえず袋に入れて片付けておいた。一部はもう売ってもいいと思えるけど、残りはまだまだ好きな服なので手元に置いておく。厚手のスカートは寒い日に必ず使うことになるだろうし…。次のシーズンの終わりまで袋から出さなかったものだけ、何かしらの方法で処分すると思う。ただ、捨てないにしても、クローゼットの中を今着たい服だけにするというのはかなり気持ちが良いことだった。

先日買ったマワのハンガーも一部の服にしか使えてなかったので、クローゼットの中のハンガーをマワに統一して、クローゼット整頓を終えた。こうして今の自分に100%フィットしたワードローブを整えることで、心も整う気がする。体の老廃物を出して、調整の効いた状態にするのと似ていると思ってタイトルをつけました。明日から服を着るのが楽しみだな。